生きる、ということ

ボクが生きているうちは、綴っているのだろうとおもう

真面目なお話し

ぼくはXジェンダーの心には性別なんか無いと思うヒトで(無性かその他に入る)

ヒトを好きになるパンセクシャル

性欲が皆無に近くて、しなくても生きていけて、してる自分は気持ち悪いヒトです

恋はします

しかし恋ってなにかわからない方多いと思います

ぼくも分からなくて定義を決めました

恋とは自分で恋とは?の定義を決めて、その定義に当てはまる好きな人が恋する人、当てはまらない好きな人が友達家族知り合い等でよいと思います

ちなみにぼくの定義の恋とは、キスしたいと思える人です

手とか繋いだり、ハグしたいと思えても、キスは嫌だったら恋ではないです

 

しかしディープキスや性行為は嫌いなので、ノンセクシャルっぽい(決めつけないでおこうと思う)です

 

ぼくはカテゴリーが嫌いなので「Xジェンダーです」とか「ノンセクシャルかもしれない」とかはできれば言いたくないです

ただのヒトとして扱ってほしい

自分に対する理解が得られない、偏見される、悪口言われるなどで困ったときの比較的わかりやすい説明として、カテゴリーを使います

 

自分の性自認性的指向をどこかのカテゴリーに入れるのが目的ではなく、あくまで自分の事を解ってもらうための手段なのです(ここ大事)

 

世の中に偏見を持つ人、他人を否定する人がいなくならないから、セクマイの人々はカテゴリーに属して安心したがるのです

全員とは言いませんが、セクマイの人々で多くの方が、カテゴリーは目的ではなく手段だと思います

 

世の中にセクマイの理解者が当たり前になって、ぼくらがただのヒトとして、特に色々な細かいカテゴリーに属さず、「ヒト」という大きなカテゴリーの一員として堂々と生きていけるようになってほしい