生きる、ということ

ボクが生きているうちは、綴っているのだろうとおもう

君の言っていることは解るけど、共感はできない

他人を「理解する」ということは、誰にでもできる。その人の頭のキャパにより、理解できる容量が人によって違うだけ。

理解しようという気持ちさえあれば、容量は違えど、みんな他人を理解できる。

 

他人に共感するのは、お互いのフィーリングが合わないとできない。

感情論に対して理解はできても、共感はフィーリングが合わないとできない。

 

理解は勉強と似ていて、たとえ感情論に対してでも、よく考えれば理解はできる。

しかし同じ気持ちでないと、共感はできないのだ。

 

共感に対しては、勉強と違って、よく考えたらどうにか共感できるものではない。

考えるより感じるっていうやつ。

 

自分のことをわかってほしい、という人はよくいる。僕もそうだ。

相手に理解なら、求めてもいいと思う。

相手に自分を理解したいという気持ちがあれば、頑張ってくれるはずだ。

頑張った結果、理解してくれると思うし、たとえ理解不可能でも、理解しようと必死に頭を働かせてくれたことに意味があるしね。

 

相手に共感は求めてはいけないとまでは言わないが、無理がある。

共感は考えてもどうにもならないから。

共感は勝手にできるものである。フィーリングが合うもの同士が。

価値観の違いってやつか。

共感してくれないなら、してくれることは努力でも無理だから、清く諦めるべき。